横浜地方裁判所 昭和41年(わ)424号 判決 1971年4月28日
被告人 米田達吉
明治三八・九・一五生 会社社長
主文
被告人は、無罪。
理由
(公訴事実)
被告人に対する本件公訴事実の要旨は、
被告人は、野本敏郎及び桜井豊吉と共謀のうえ、金融機関から金員等を騙取することを企て、鈴木健郎をして天野一夫名義で、横浜信用金庫戸塚支店に一、〇〇〇万円を普通預金させ、かつ桜井豊吉名義の当座預金口座を開設し、昭和四〇年一二月二四日、横浜市戸塚区戸塚町四四番地右金庫支店で、同支店長斉藤功人らに対し、右普通預金の払戻、定期預金及び当座預金への振替等の処分権限がないのにこれがあるように装い、偽造の天野一夫名義の委任状、印鑑証明書、印鑑等を示して、「一、〇〇〇万円は天野一夫の預金であつて、自分は右天野と共同で仕事をしている者だが、同人は、今北海道に出張中である。実は、馬堀海岸の土地の買収のため至急金が必要になつたが、同人が通帳も印鑑も持つて行つており、別の印鑑や印鑑証明書、委任状等を預つているから、これで改印届をして一、〇〇〇万円の払戻しをしたい。一、〇〇〇万円のうち六〇〇万円を桜井豊吉名義の当座に振替え、三六〇万円を同人名義の定期預金にし、残り四〇万円を現金で払戻したい。」旨虚構の事実を申し向け、その旨同人らを誤信させ、よつて即時同所で改印手続をしたうえ、無通帳の便宜扱いで右金庫支店長から普通預金の払戻し名下に現金四〇万円、桜井豊吉名義の三六〇万円の定期預金証書一通の各交付を受けてこれを騙取すると共に、同人名義の当座預金口座に六〇〇万円を振替入金させて同額の預金債権を取得し財産上不法の利益を得たものである。
というにある。
(当裁判所の判断)
右公訴事実に対する当裁判所の判断は、次のとおりである。
一、(証拠略)を総合すると、野本敏郎及び桜井豊吉らが前記公訴事実を犯したことが認められる。
二、更に、右各証拠に、(証拠略)を併せ考えると、被告人は、昭和四〇年一一月末頃、仙田利数から電話で、金融機関に対して当座預金口座を開設することを希望している者がいるので金融機関を紹介してほしい旨の依頼を受けてこれを承諾したところ同年一二月初旬頃、同人、野本敏郎及び桜井豊吉らが、被告人が相談役をしている横浜市西区南幸町所在の幸ビルの国土資源開発株式会社に被告人を訪ねて来たので、その近くにある喫茶店「白樺」で会い、その際、右野本敏郎から宅地造成工事をしているが当座預金口座を開設したいので金融機関を紹介してほしい旨の依頼を受け、かつ、被告人と右仙田利数、同人と野本敏郎及び桜井豊吉との間に紹介に関し謝礼の話がなされたこと、同月一三日頃、被告人は、右会社に野本敏郎及び桜井豊吉の来訪を受け、前記「白樺」で同人らに会つたが、その際野本敏郎から明日小日向の名義で預金したい、銀行の印鑑簿には二個の印鑑を押し、何れの印鑑でも預金の払戻しができるように頼んでほしいとの依頼があり、その後右小日向の番頭が来ているといわれ、森英昭に会つたが、翌日、野本敏郎らが来なかつたので預金されなかつたこと、同月二三日被告人は、桜井豊吉から電話で、すでに横浜信用金庫戸塚支店に、一、〇〇〇万円の預金がなされたから払戻のため明日一緒に行つてほしい旨の連絡を受け、翌二四日、野本敏郎及び桜井豊吉と共に右金庫支店に赴いたが、その途中、国鉄戸塚駅近くにある喫茶店「プランタン」で、野本敏郎から、天野一夫の委任状や印鑑証明書等を示され、右預金払戻しについて、天野一夫が北海道に出張しているが、同人の委任状や印鑑証明書等を預つているので改印届のうえ預金の払戻しをしたいから、支店長にその旨話をしてほしい旨の依頼を受けて、これを承諾し、野本敏郎と共に右金庫支店で同支店長斉藤功人に会い、同人に右同趣旨のことを伝えたこと、その後野本敏郎が、前記のとおり詐欺の目的を遂げていることが認められる。
三、そこで右のような経緯のうちに被告人が、右野本敏郎及び桜井豊吉らと共犯の関係が成立したか否かについて検討する。先ず、被告人は、前記認定のように野本敏郎及び桜井豊吉らと、同年一二月初旬頃、前記「白樺」で会い、同人らから金融機関の紹介を依頼されているが、(証拠略)によれば、野本敏郎はその際、被告人に対し、預金されたものは引出して使う旨を話し、引出方法についても具体的に説明した、話し合いをしたのは三〇分位であつて、被告人はその説明をわかつてくれた、又野本敏郎から被告人に小日向の印鑑をわたしたとのことである。しかし(証拠略)によると、同日は、野本敏郎から被告人に対し、金融機関の紹介をしてほしい旨の依頼があり、被告人が野本敏郎に対し金融機関の紹介手数料として、三万円ないし五万円を要求したところ、仙田利数が、桜井豊吉を通じて野本敏郎に対し、五〇万円を要求し、そのほかの話合がなされずに別れていることが認められるのである。
次に前記認定のように同月一三日、野本敏郎及び桜井豊吉らは、森英昭を伴い、被告人を訪ねたが、その際、証人野本敏郎の前記供述によれば、野本敏郎は、被告人に対し金融機関を紹介してほしい旨及び金融機関に預金後、届出された小日向の印鑑のほかにもう一個の印鑑を金融機関の印鑑簿に押し何れの印鑑によつても払戻しがができるように依頼した旨、そしてそれまでの間に詐欺の方法について具体的に説明し、被告人はこれを承諾したというのである。しかしながら、他方、右野本敏郎の供述中には、詐欺の方法がどのようなものであるか具体的には何ら述べるところはなく、却つて、被告人を金融機関紹介の役割として利用したかつた、小日向の印鑑や印鑑証明書は偽造であるが、そのことは被告人には言わなかつた、この方法を人に知られることは好ましくない、方法については露骨には言わなかつたとの供述もある。(証拠略)によると、野本敏郎は、かねてから金融機関からの預金の引出方法については、自己の特許であつて、人には話せないとして、常に共犯関係にあつて行動を共にしていた桜井豊吉に対してすら具体的方法は一切語ることはせず、その当該事案に応じて野本敏郎が実行行為に出るということが認められるのであつて、野本敏郎と被告人とが本件において初めて知り合つた仲で、互いにその人柄、経歴、職業等を知らない間柄であつて、面会した時間も、わずか数一〇分であることを考え合わせると、野本敏郎が被告人に対して詐欺の意思であることを打ち明けると共にその具体的方法を打ち合わせするとは考えられないので、右証人野本敏郎の供述は信憑性がない。
同月二四日、預金の払戻しがなされた当日、野本敏郎及び桜井豊吉は、前記「プランタン」で被告人と会つたことは前記認定のとおりでありその際、証人野本敏郎の前記供述によれば、先に小日向名義の預金をする旨打ち合わせていたが、天野一夫名義で預金がなされ、被告人と打ち合わせした方法と異なることになつたので、前記のとおり改印して払戻しのできるように被告人に依頼し、その際天野一夫という架空名義で預金がなされているとは言つたが、印鑑、印鑑証明書、委任状等が偽造であるとは言わなかつたことが認められる。そして被告人が、右印鑑等が偽造であると認識していたことを認めうる証拠はないばかりか、却つて前記金庫支店の支店長である斉藤功人は、その供述(昭和四三年七月四日の第七回公判調書中同人の供述部分)において、右印鑑等が偽造であると認識することができなかつたと述べており、被告人の前記供述によれば、被告人は視力が著しく弱いのであつて、野本敏郎が、右印鑑等が偽造であると言わないかぎり、被告人がこれを認識することは不可能に近いものであると認められるのである。そして前同様の理由により、野本敏郎が被告人に対し本件払戻し等が詐欺の意思によつてなされるものであることを打ち明けると共に、その具体的方法を打ち合わせするとは考えられないので証人野本敏郎の供述は信憑性がない。又、前記認定のように右「プランタン」を出て、被告人は、野本敏郎と共に右金庫支店におもむいて支店長斉藤功人に面会し、同人に対し、改印手続をしてほしい旨依頼しているのであるが、その際、被告人が右印鑑等についてなした説明について、斉藤功人は、昭和四一年二月九日付司法警察員に対する供述調書中で、被告人は、印鑑等は間違いないと述べたというが、右斉藤功人の法廷における供述(昭和四三年七月四日の第七回公判調書中の供述部分)では、被告人は、間違いないようだから手続をしてやつてくれとか、書類も正当なものだと言うから手続をしてやつてくれと述べたと言い、何れが真実であるか断定し得ないから、これらのことから、被告人が印鑑等の偽造であつたことを認識していたと認定することはできない。
以上のとおりであるから、同年一二月一三日頃前記「白樺」で、同月二四日前記「プランタン」で、被告人が野本敏郎らと共謀をしたとの点について証人野本敏郎の供述は信憑性がなく、ほかに証人野本敏郎及び同桜井豊吉の供述から、被告人が、同人等と共謀して本件犯行をなしたことを認めることのできるものはない。又その他の証拠によつてもこれを認めることはできない。
四、もっとも、被告人にも疑わしい点がないわけではない。即ち、野本敏郎から金融機関の印鑑簿に二個の印鑑を押し、その何れでも払戻しができるようにすることを依頼されて承諾したり、小日向名義で預金をするため金融機関を紹介するよう依頼されながら、後に天野一夫名義の預金を払戻すことに口添えすべきことを依頼され、改印手続ののち直ちに払戻し手続をなすことを知りながら同趣旨の口添えをしていること、本件が前記金庫支店に発覚し、その責任を追求された際、被告人は、野本敏郎らと鈴木健郎とは同腹のからくりだといつて驚く態度が見られなかつたこと等である。
しかしながら、右疑いは、あくまで疑いの程度を越えず、これらの事実をもつて被告人が野本敏郎及び桜井豊吉と共謀して本件犯行に及んだと認定するにはなお合理的な疑いが存する。
なお、被告人は、検察官に対する昭和四一年三月二八日付の供述調書において、犯意があつたかの如き供述を、しているが、右供述は、被告人に何らかの懸念があつたことを供述した趣旨に理解すべきものと認められるから同供述があるからといつて前記認定の妨げとならない。
他に本件公訴事実を認むべき証拠は、全くない。
(自供調書の任意性について)
検察官は、被告人の自供調書として、被告人の司法警察員に対する昭和四一年三月一八日付、同年四月一日付及び同月一一日付各供述調書並びに被告人の検察官に対する同年三月二八日付、同月三〇日付及び同年四月五日付各供述調書を証拠として取調べすべきことを請求した。
これに対し弁護人及び被告人は、被告人の司法警察員に対する同年三月一八日付供述調書については任意性を争わず、その他については任意性を争い、当裁判所は、被告人の司法警察員に対する同年三月一八日付供述調書並びに検察官に対する同月二八日付及び同月三〇日付各供述調書については任意性があるものと判断して証拠として採用取調べ、その他については任意性に疑いがあるものと判断して右検察官の請求を却下したので、その理由を述べる。
被告人は、本件公訴事実を被疑事実として昭和四一年三月一七日逮捕され、同月一九日神奈川県警察本部留置場に勾留され、同年四月七日まで勾留期間が延長されたものであるが、本件は、重要事件として神奈川県警察本部捜査第二課において捜査を担当することとなり、荒井時次郎警部(課長補佐)が総括者となり、藤生喜代蔵巡査部長が被告人の取調べ担当者となつて取調べをしたものである。
ところで、被告人は、当公判廷(昭和四五年七月七日第二七回(C一)、同月二八日第二八回(C二)、昭和四六年二月一五日第三八回(C三)各公判期日)で、本件の取調べについて、右警察官荒井時次郎から、わしも海軍の予備士官だ、お前に馬鹿にされることはないといわれ、又同藤生喜代蔵から、共犯者とされている野本敏郎及び桜井豊吉が、被告人と共謀して本件犯行をなしたといつているのだからこのままでは外へは出られない。ある程度の事実を認めなければだめだ、留置場にいては自分に有利な証拠や事実を調べることはできない、まず出ることを考えることが先決だ、争うなら外に出て争え、勾留されていてはそれはできない、このままでは検事が出さない等といわれ、自白するならば釈放すると暗示され、当時被告人は、両眼とも視力が著しく弱く盲目に近く、身体の拘束により日常生活に不自由しており、家族の生活に心を配つていた折であつたので、このままではなかなか身柄を釈放してくれそうもない、ともかく釈放してもらつてからの話だ、警察官のいうのも一理あると思うようになり釈放されたい一心で、同年四月一日頃から警察官の取調べに対しては、警察官に迎合し、多少知つていたと述べ、警察官のいうところを認め、結局犯意を認めたかの如き虚偽の供述をなし、更に、検察官もまたお前の調書は五〇歩一〇〇歩だから取調べる必要はない等というので、警察官に取調べを受けた時と同様の気持から早く釈放されたい一心で虚偽の自白をしたものである、と述べるのである。
そして取調べにあたつた警察官である証人藤生喜代蔵は、当公判廷(昭和四五年一〇月二四日第二九回、同年一一月五日第三一回各公判期日(C二))で被告人の右供述した事実を否定し、被告人の自白した動機について、被告人は、本件犯行は、自分が主犯者としてやつたのではないから野本敏郎らから犯行をおしつけられないように真実を述べる、悪いことをしてこれを否認するのは卑法だ、事実は事実としてはっきり述べる、といつて自白したと述べ、又警察官である証人荒井時次郎は、当公判廷(昭和四六年一月一一日第三三回公判期日(C三))で、被告人の右供述した事実を否定し、被告人を直接調べたことはない、ただ被告人が取調べられている時、数回部屋に入り、体は大丈夫かと聞いたことはある。自分が行つた時被告人が激昂したので直ちに部屋から出たことがあると述べるのである。
右被告人の供述は、その供述の内容、供述する被告人の態度及び前記各証人の供述等を総合的に検討するとき、これをすべて信頼すべきかについて疑いがあるにしても、これが虚構の供述であるとして全く排斥し去ることもできないのである。そうだとすれば、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、昭和四一年三月三〇日以前のものについては、供述に任意性があるものと認むべきであるが、同年四月一日以後のものについては任意にされたものでない疑いがあると認めるべきであるから前記のとおり判断したのである。
以上のとおりであるから、結局、被告人について公訴事実を認定するに足る証拠はなく、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをする。
そこで主文のとおり判決する。